こんにちは。現在(2023/9/4)フィンランドのトゥルク大学にnon-degree student として留学中のRisaです。今日は、私が留学を決めるまでの過程についてお話しできたらと思います。
私がフィンランドに留学に行くと決めたのは、大学3年の9月でした。3年の5月末から就活を始めており、夏の間は1dayインターンや説明会に参加したり、面接を受けたりしていました。その時は、留学のことは考えておらず、そのまま順調に就活を進めていくつもりでした。ですが、8月の中旬、実家に帰ったときに、就活や将来のことについて母と話していると、「留学に行きたいなら行ってもいいのよ」と言われました。その言葉をかけられる前までは、私は周りのみんなと同じように就活するんだという考えしかなく、ハッとさせられました。
母自身も、大学の頃に2週間という短い期間ではありましたが、ロサンゼルスへの留学経験がありました。また、7つ上の私の姉も、大学在学中に1ヶ月(か、3ヶ月。忘れてしまいました)イギリスに留学していました。私も、大学に入る前までは、留学に行きたいと思っていました。英語も好きな方だったので、「将来は外交官になりたい!」というのが高校の頃の夢でもありました。入学して、横浜国立大学の交換留学提携校を見ると、フィンランドのオウル大学があったのを見つけて、「フィンランドあるじゃん!」と、母と喜んでいました。
実は、「留学行かないの?」と母に言われたのは、それが初めてではありませんでした。大学1、2年の頃から、たまに言われていたことです。なのにどうしてそれまで考えていなかったのかというと、それはひとえに、モチベーションの低下にあったと思います。ここからは、言い訳がましい文が続きますが、お許しください。
私は大学入学時、第一志望校の東京大学文科二類に落ち、浪人を選ばずに後期試験で横浜国立大学を選びました。理由は、「横浜国立大学には経営学部があるから(私が受験した時は、国立では神戸大学と横浜国立大学しか経営学「部」はありませんでした)」「予備校のお金が高いから」というのもありましたが、本当の理由は「横浜に好きな人がいたから」と、「もう一回受験しても受かる気がしなかったから」です。たまに、あの時浪人して東大に行っていたらどうなっていたんだろう…と考えることもありますし、後悔しそうになることもありますが、今では、これでよかったんだと思えています。家族や先生方など、応援してくれていた人には、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいですが。特に高額な塾代を払ってくれていた母には、申し訳ないと思いますが、そんなことを言っても母は「お金のことなんてりさちゃんが気にしなくていいのよ」と言ってくれるでしょう。それに、第一志望校に落ちて悲しんでいる私を見せるより、今私が自分の生活に満足し、楽しんでいる姿を見せる方が親孝行でしょう。少なくとも母は、「あんなにお金を払ったのに」と思うような人ではありません。と、話がマザコンな方向へと進んでしまいました。
とにかく、第一志望校に落ちたこと自体は、モチベーションの低下にはつながっていません。久留米から横浜まで、後期試験を受けに行って、受けている間に母が家探しをしてくれて、受験当日に家を決めました(まだ合否は分かっていないのに)。その時は、ここで新たな生活が始まるんだ、と胸を躍らせていました。実際に入学当初は、交換留学でフィンランドに行きたい!と意気込んでいたのですから。大学に入学したのが、2020年の4月のことです。
お察しがついた方もいると思いますが、その時はコロナ禍の真っ只中です。「コロナ禍だったからできたこと」もあるかもしれませんが、コロナのせいで大切な時間を奪われたというのは変えようのない事実です。
私の場合は、そんなに深刻な被害を受けたというわけではありませんでしたが、少なからず影響は受けました。まず、入学式は延期され(大学2年の秋に開催されましたが、あまり行った人はいないようです)、最初の1年間は完全にオンライン授業となってしまいました。そのため私は、横浜の家を借りながらも、実家の福岡で生活していました。最初の半年は大学の授業を頑張っていましたが、夏休みからバイトを始めると、大学からは完全に心が離れていってしまいました。大学の友達もいないし、大学に行ったことも受験の時以外ない。顔もよくわからない教授の録音された授業を部屋で聞いても、大学に通っている実感はありませんでした。公認会計士の勉強も通信で始めましたが、どうにも自分に合わず、やめてしまいました(あの時やめていなかったら…と考えることもありますが)。バイトが現実逃避のようになっていて、週5くらいでバイトに行っていたと思います(そのバイトは、本当にキツかったですが)。
2年からは語学授業は対面ということになったので、週一のフランス語の授業を受けるために、ようやく横浜に引っ越しました。2年春学期のフランス語の成績は「優」で、先生からも気に入られていたのですが、2年の秋学期、再びコロナの感染が拡大し、完全にオンライン授業となってしまってからは、サボりがちになってしまい、結局そのフランス語の授業は落としてしまいました。人と話さないとまずい、と思った私は、ネットでゲームをしながら人と話せるDiscordを始め、ゲームしてばかりでまずい、と思った私は、バイトを始めました。オンライン授業といっても、オンデマンドの授業も多く、出席登録などがなく後から資料を見て宿題を提出する、という形式の授業だったため、大学の授業とは、最低限宿題は提出する、という関わり方でした。
そんなこんなで、3年生になってしまいました。私は大学で一体何をしてきたんだろう?サークルにも入らずに、授業もろくに受けずに。想像していた大学生活は、もっと充実していて、輝いていたのに。いつからこんなふうになってしまったんだろう? と、自己嫌悪に陥る日も多々ありました。コロナ禍という同じ条件の下でも、頑張っている人はいるのに、輝いている人はいるのに。自分は本当に、何も努力できなくて、怠惰な人間だな。
6月から、就活を本格的に始めました。自己分析、自己分析、自己分析…
とにかく自己分析のオンパレードです。自分の傷を抉るだけです。
と、思っていたのですが。
同じく1dayインターンに参加していた人や、社員の方から、私のいいところを見つけてもらったり、私の大学生活はただ怠惰じゃなかったことを気付かされたりして、私はダメな人間じゃないんだ、と思うようになりました。そして、「どうせ私じゃできない」「私なんかがこんな大それたこと言ってはいけない」と思っていたのが、「自分のことを認めてくれる人はいる」「自分の気持ちに正直になろう」と思うようになりました。
中学、高校の頃は、「私にできないことはない」と、自信過剰だったほどですが、2年かけて、こんなに自己肯定感が下がっていたことに驚きました。
自分ってまだ、いいところもあるし、やりたいことを諦める段階にはいないんだな、と、輝いて見える人々に気づかされたのです。
そしてお盆の帰省の時に、母に再び留学を勧められ、コロナも落ち着いてきたということもあり、すっかり諦めていたフィンランド留学を、もう一度考えてみようと思いました。
と、ここまでが、私が留学を考えるようになるまでの過程です。本当は「なぜフィンランドを選んだのか」について書こうと思っていたのですが、書き始めるとそれ以前の背景を書かずにはいられなくなり、結局この長さまで「留学を決めるまでの過程」になってしまいました。
読みづらい文章だったとは思いますが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
↑大学の友達に誘われて一緒に横国の建物の屋上から見た夕焼けと富士山(2022/6/27)